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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

死刑囚の反省とは

19世紀の中国で発生した洪秀全らによる太平天国の乱を現代社会で再現したかのような、日本の宗教団体による一連のテロ活動。その結末は、一部の残党と反教祖化した別の宗教法人の誕生、そして首謀者とされた数人の死刑執行となった。
死刑制度の是非が再び再燃しつつあるが、そのなかの根拠のひとつとして、「死刑囚はもう十分反省しているから、死刑執行は不要ではないか」というものが散見される。
反省しているから、死刑は不要?死刑制度とは、社会に規律を与えるためだけでなく、被害者感情も鑑みての制度だと私は認識している。反省ってそもそも何ですか?その人が反省できるようになったのは、死刑宣告を受けたからかもしれない、死期を悟れば人間、もはや先立つものも不要だし人生の執着に囚われることもない、あとは綺麗な状態でこの世を去る準備をすればよい。性善説に立てば、彼らも最終的には純粋な気持ちになることができる、それゆえ死刑囚のなかには遺産を全て自然災害の復興義援金として寄付した者もいるという。
では、彼らに「反省しているようだから、やはり死刑は撤回して、あと5年で保護観察にします」と処遇を変更させた場合、彼らが今の心持ちのままでいられるのか、こんなこと誰もわかるはずもない。いや、もし仮に保護観察処分となったにも関わらず、さらに何らかの犯罪をした場合、一体誰がその責任を取ることができるのか。この理由をもって死刑制度に反対した者全員が責任を取れるとでも言うのか?
そもそも、日本の法律においてはその犯罪者のことが憎くて忌々しいがために死刑執行を行うのではなかろう、憎むべきは罪であろう。犯罪者の心情は変わりうるかもしれないが、一度犯した罪は未来永劫消えない。本当に犯罪者が反省しているのであれば、死刑囚は命乞いをするのか?多くの無抵抗の市民を犠牲にしておいて、死刑囚として諦めがついたからこその「反省」に、何の同情の余地もない。
彼らの心情を慮ることをそこまで主張したいのであれば、彼らに死刑執行するのではなく、誇りのある死として切腹の機会を与えてはどうか?死刑執行となると、執行させられることになる担当者の精神的な負担と計り知れない。それこそ、死刑囚が執行者に与える最後の負の遺品である。かと言って、現代で斬首の上三条河原に晒し首というのも、現代にはフィットしないだろう。反省という人間らしさを示して綺麗な最期を遂げるという意味で、彼らに切腹の機会を与えることは議論の余地があるように思える。

政治に大義なし

一体、何のための政治家なのか。

ほぼ実効性のない受動喫煙法案、喫煙家が多数の自民党の理論により、本当に禁煙にしてほしいバーや飲み屋こそが喫煙可能。禁煙にしても喫煙者のための空間を設ければ良くないか?喫煙者は嫌煙者により不快にならないのに、嫌煙者は煙により不可避的に不快になる。この前提になぜ立脚できない?

参議院の定数増加、あくまで違憲状態を解除する目的という。今、これほど経費削減が行政を中心に叫ばれている昨今で、余計な経費をかけてまで違憲状態に不利に陥っている一般市民が本当にいるのか?違憲状態が嫌ならば、もっと議席数を減らす形で違憲状態を解除できないのか?全員スマホを持つ時代において、国会議員の存在は極めて希薄になりうる。本当の価値がないのなら、もはや不要かもしれない。

とはいえ、野党にも何の期待も抱けない。会議を欠席するか、不信任案を出すか、上げ足を取るか。
尊敬に値する代議士がほとんどいないことに慣れ過ぎてしまって、政治不振から無関心に向かう。この定常状態を作り出したのは、国民だけでなく代議士の連中でもある。どうしたら政治に大義が戻るのだろうか、国民の目線に立って政治を実行できる存在の台頭が求められているのではないか。

20180715 保土ケ谷球場観戦の随想

 最近引越した住まいのすぐ近くにある、横浜市の公立高校の星とも呼ぶべき高校と、県内トップクラスのシード高である私立高校との好カードを観戦しました。公立高校であるにも関わらず、近所の高校は専用の硬式野球場を校内に持っていて、私と同じようにコアな古参の野球ファンがしょっちゅう練習を見に訪れます。だいぶ離れた丘の上にある実家の脇を通って海岸沿いの公園まで練習でランニングをする姿に憧れ、さらにちょうど自分が中学生くらいのときに甲子園出場を果たしていただけに、私にとっては本当の憧れの学校で、私の中高一貫進学校を中学で辞めて高校から入ろうと真剣に考えることさえありました。こうして近所に住むことができたのもとても光栄です。
 さて、試合前の会場はプロ野球の会場にも匹敵するほどの混雑ぶりで、案の定スタンドの入りも超満員、立ち見は出るわ、珍しく外野の芝の客席も開放されるほどでした。さすが強豪校ひしめく神奈川の高校野球ファン、この試合がどれほど接戦となることかを皆さんよくご存じです。炎天下のなか、選手や審判の方々はもちろん、父兄の方々や応援席の学生さんたちのひたむきな姿にただただ胸を打たれる思いでした。損得勘定なく、ただ目の前のことに熱中し、同士に声援を送る姿。
 保土ケ谷球場は私もかつて4試合ほど野球をする機会を得ましたので、とても思い入れが強い球場です。当時センターという外野手であった自分は、恥ずかしいほど自意識が過剰であったのか、とにかく人と違うプレースタイルで臨もうとしていたのでしょう。イニングの合間の練習中に逆立ちしてみたり、前転宙返りをしてみたり。今思うと、かなり浮いていたと思われますが、それでもそれを跳ね返すためにプレーで返すしかないという感覚であったのでしょうか、当時はチームの中心メンバーであることを自負していたこともあって、それこそ自信を身にまとっていられたのだと思います。
 以下、試合をみながら思ったこといろいろをつれづれなるままに。
 
 両校とも、人やグラウンドへの挨拶や礼儀が本当に素晴らしい。特に感心したのは道具の扱い方の丁寧さ。フォアボールで出塁するときに、誰もが金属バットを丁寧に地面にそっと置く。バットボーイも丁寧にバットを拾っていく。守備側のチームもスリーアウトチェンジの際にはマウンドにボールをしっかりと置いてベンチへ引き上げていく。「今のティーネイジャーは…」「今の若者は…」などとついつい小言をいいたくなってしまう今の時代、しかし彼らは生まれ育った現代を必死に生きて、良いところも悪いところも感じながら、それらを自分の糧にすることができているのだろう。特に、優しさや仲の良さを大事にできるところは、悪くすればSNSの過剰な蔓延ということになるかもしれないけれど、チームワークという面では強い結束を生み出すことができているようだ。彼らが野球部の生活を選んだことによって学んだのは、野球の技術や体力だけではなく、人としてたしなむべき人格であったり仁義礼智、惻隠の情であったり、大きな存在に対する畏敬の念であったりするのだろう。

 最近、バガボンドという井上雄彦さんの漫画を読むことがあった。ご存じの通り、17世紀初頭に活躍した剣豪・宮本武蔵の流浪の人生を描いた吉川英治さん原作の時代小説を漫画化したもの。私は宮本武蔵の生き方にとても影響を受けた人間のひとりで、宮本武蔵の記したとされる五輪書からはいろいろな勝負の場面でいつもその教えが頭をよぎるものである。「厳しい状況において、いかにして勝つか?」という問いに対して、変に格好つけるのではなくとにかくあらゆる工夫をして最善を尽くす、時には集団で戦うもよし、太陽光や強風、豪雨などの天然の要塞を味方につけるもよし、勝負の前に周到な下見や準備をすることも重要。このバガボンドの終盤において、武蔵は吉岡道場の約70人との決闘を挑まれることになるが、そのなかで武蔵は戦いに臨むときには勝利を意識しすぎて身体を硬直させることや怒号で相手を威嚇することはむしろ自分の身体のなかに流れる流れを殺してしまうものである、むしろ、「ぬたあん」と柔らかく、空気と戯れるようにしていることが重要であることを悟る。とても腑に落ちた言葉は、「自信の空気が自分の身体を越えて染み出していき、相手や自然と一体となる」ときには敗れることがないというもの、また、「状況が極端に不利になったとき、最も恐ろしいのは不利になった状況そのものではなく、自分が不利であると思ってしまう恐怖そのものによる萎縮である。さらに、こちらが不利な状況であるとき、相手はそれを意識せざるをえないのだから、相手には心に油断が生まれうる。そのようなとき、相手はその有利な状況を頼りにして戦っていることが多いので、それが彼らにスキを与える」というもの。野球の打席、または投球の際を思うと本当にその通りだと思う。野球の対戦はどうしても静から動へと向かう局面となり、心の持ちようが大きく影響する。特に、「絶対に打ってやる、絶対に討ち取ってやる」という気負いがよぎってしまうと、身体は硬直してしまいどうしても本来のパフォーマンスを発揮できない。今も時々野球部のOB戦などで対戦することがあるが、本当にその通りだなと思う。現役の高校生は、それこそアスリートとしての気負いがあるせいか、練習通りならもっとよいプレーができるのに、それをうまく発揮できない子が多い。一方、我々OBは特に失う者が何もない、ここでミスしたってレギュラー争いに影響しないせいか、純粋に心から楽しむべくプレーができる。年の功のおかげかもしれないが、面白いようにいいプレーができてしまう。こういったことを、現役生に伝えてあげたい、そう思う気持ちがある。一方、それを伝えなくてもよいような気もする。なぜなら、このような感覚はその道を究めるべくして努力を続けていった末に必ずどこかで悟るものであって、外から押しつけられるべきものでもないと思えるからである。それに、全力で追い求めている高校生の気負い自体も、非常に美しいものであり貴重なもの。その気負いのなかで得た苦い経験も成功体験も、どちらも彼らの素晴らしい財産となるだろう。高校野球は勝ち負けだけが価値ではない、現に保土ケ谷球場に詰めかけたいい年した我々観客たちは多くの感動を選手やスタンドの関係者たちから受け取っているではないか。

 猛暑のなか観戦するのも決して楽ではなかったが、やはり生での試合観戦は素晴らしいものだ。そして、私とほぼ同じように観戦している観客たちも、またなかなかのものである。本当に野球が好きで、高校生の懸命な姿が好きで、特にひいきのチームがなくても両チームの好プレーに割れんばかりの賞賛を送る。日本人にとって野球を愛でる文化がここまで根強く存在していることにも大きな喜びを感じた。

言ったもん勝ちの社会

「定時で帰ります。」
「この仕事はしたくありません。」
「後輩の面倒はみません。」

働き方改革、どうぞ進めて下さい。でも、どんなに働き方を変えても、社会や会社で求められる仕事量は変わりません、誰かが必ず背負う必要があります。効率性を高めるにはある程度限界があります、特に現場で求められる手足を使うきつい仕事や、高い技術を要する職人の世界はことさらです。
それをロボットやAIにやらせたらいいだろって?そいつらのエラーの責任を負うのはあなたかもしれませんが、それでも大丈夫ですか?
先ほどのような言葉が聞こえる、または口からこぼれるたびに、日本人がもともと大切にしてきた惻隠の情、共感、協働、そして武士道精神に似た優美な誇りがこぼれていくような気がするのは、私だけなのでしょうか。

地域の市中病院のための提言

 現在、地域の中核病院で救急外来の日当直をしている者として、地域の
市中病院を守るための提言をしたいと思います。
1.常勤医として平日フルで病院に勤務している先生方が、さらに平日の当直や土日祝日に日当直をこなすことは非常に大きな負担となります。特に、当直の時間帯は、「通常の人間的な生活を営む者にとって休息を取るための時間」です。医師をはじめ医療従事者にとっても全く同じことが言えます。医師は応召義務という法律による規定があり、医療機関はどれほど苦難にあっても患者が救急外来を受診する限り、診療を断ることができません。つまり、どんなに医師が体調が悪くても、睡眠不足で頭がまったく回転しなくても、どんな状況であっても患者を診療する義務があるのです。常勤をしていた頃にも痛感していましたが、前日に朝から夜まで病院での仕事を終えた後、夜間や早朝に患者が来ると翌日の勤務は本当にしんどいものになります。この、だいたい夜10時から朝7時頃までの時間帯は、「できれば患者に来て欲しくない」時間帯です。したがって、救急外来の診療費を調整することでこの時間帯の患者の来院を減らすことができれば、常勤医の負担は大きく減らせる可能性があります。例えば、夜10時から朝7時までに救急外来を受診した患者さんの「夜間診療費」を通常の4倍程度、自由に病院が設定することができれば、患者も夜間に受診することを減らせるでしょう。一方、夜間でも緊急を要する重症な患者もいるはずですが、重症な場合であれば高額医療費助成の適用となるケースが大半ですので、その分の医療費は自治体からの助成を受けられます。そもそも、自分の生命に値段をつけられるのでしょうか?本当にしんどいのであれば、それを助けてもらうためには一生をかけてでもお金の負担をかけることができるはずです、これこそまさに「ブラックジャックで描かれる生命に対する真摯な姿勢」です。また、この「夜間診療費」を自由に設定し、さらにそのときに勤務した医療従事者にインセンティブとして支払うことができれば、しんどいとはいえど金銭的にも報われることで医療従事者もより真摯に勤務できる可能性があります。

2.2018年4月より、日本専門医機構なる法人によって監視される新しい専門医制度がスタートします。この制度の賛否はともかく、若い臨床医がこの制度によって大学病院などの基幹病院に多く移動していきます、実際そういった病院を見てきましたが、ある病院の外科では若い医師が大学に戻るということで、市中病院での予定手術が大幅に減少しました。地域の市中病院の常勤医師は高齢化の一途をたどっており、医師自身の健康問題も大きなリスクとなっています。いわずもがなですが、地域医療を支える医師が病に倒れてしまえば、その負担が残った医師にさらに重くのしかかり、結果として地域医療の崩壊が加速してしまいます。高齢化が進む市中病院の医局において、若手の臨床医の存在は本当に大きなものです。若い先生方がいきいきと仕事している姿があるだけで病院の雰囲気が明るくなりますし、臨床に必ず発生する「お互いにやりたくない仕事」を若手の先生はすすんで引き受けてくれることが多いです。他科とのコンサルテーションにおいても、還暦近くの大御所のような先生よりは、若くて話しかけやすい先生がいらっしゃるだけでコンサルトがよりスムーズに行えます。また、若手の先生がいてくれることで、さらに若手の医師がその病院に興味を持ち、もしかしたら病院に就職する機会ももたらされるかもしれません。「若い医師=未熟な医師、だから専門医となれるよう基幹病院を中心にさまざまな経験をさせるべき」という理屈は完全には否定できませんが、若い先生が活躍できる環境を常態化させることが地域医療と市中病院の健全性を保つために非常に重要であると痛感しています。

3.救急車は、絶対に有料化にすべきです。無料であるということは、どんな人間であれその選択肢を選ぶことをためらわせることがありません。救急車は、このまま放っておいたら生命に危険がおよぶか、または重大な後遺症が残ってしまう可能性がある患者を優先的に病院まで搬送するために、社会的な経済的損失を十分に被ってでも優先させるために存在しています。逆にいえば、それほど重症である状態ならば、それを治すためならば金額的負担が大きくなってしまったとしても仕方のないことでしょうから、自分の生命を尊重する患者ならば金銭的負担を負うとしてもそれを受け入れることができるはずです。もっとも、多数の交通信号の秩序を乱してまでして時間的損失をなくし、かつ優先的に病院で診療を受けることができるという権利なのですから、その権利に対して金銭的負担を負うというのは権利と義務の観点からしても当然の義務です。とはいえ、本当に重症な患者が緊急的に医療を受けることは社会保障制度の根幹となる目標のひとつですので、「本当に緊急性があって救急車を利用した患者」に対しては一時的に支払ってもらった救急車利用料を返還する、というようにすれば良いでしょう。コンビニ的な利用を行う軽症患者の利用を防ぐためには、この方式がベストではないでしょうか?

4.私はこれまで臨床医として、さまざまな生活保護受給者を診療して参りました。生活保護受給者は医療費が無料なのは皆さんもよくご存じのはずです。ご自身の生命に関わる医療サービスを、なんと無料で受けることができるのです。もちろん、なかには無料で医療サービスを受けることに強い恥と感謝の心をもって受診される患者さんもいます。しかし、その方々を押しのけて有り余るほどの権利意識の塊のような生活保護受給者が多数存在していることも事実です。現在のように、武士道精神という日本人の「恥の精神」をほぼ完全に失ってしまった日本人にとって、無料ということは、(何度も申しますが)その行動を選択することに一切のためらいや迷いを入れる余地は生じ得ません。したがって、一部の生活保護受給者は公的扶助の制度によって保障された「無料という権利」をふりかざして、当然のように頻繁に医療機関、とりわけアクセスがよく24時間対応をしてくれる市中病院を受診します。無料であるがゆえに、自身の生活改善を改める努力も生まれにくく、さらに中途半端に仕事を見つけてしまうと受給額のほうが給料を上回ってしまうので、定職を死にものぐるいで得ようというハングリー精神も生まれ得ません。生活保護受給者の生活費の困窮はまったくもってお察し致しますが、無料であることは何も良いことを生み出しません。5%でも3%でもいいから、とにかく有料にすることが今後の社会保険制度の持続的な発展のためには必須なものとなるでしょう。よく生命倫理に関して言われることがあります、「生命は平等だ」と。であるならば、収入の多寡によらず、ご自身の生命にかかる負担は平等に負うべきではないでしょうか?その前提があってこそ、生活費に困窮しながら懸命に病気の治療を続ける人々に対して助成金や財団からの寄付金などを贈るという発想が生まれるのだと思います。議論なくはじめから医療費無料と扱われた方々が、自分の健康や病気に対して真摯に向き合うことができるのでしょうか。

小市民主義の台頭

 現在、月1回ではありますが地方の市中病院で救急医療をしている者として、強い危機感を感じています。端的に言えば、地域医療は近いうちに必ず崩壊し、多くの高齢の患者さんが医療過疎の現実と危険に曝される時代がやってくるでしょう。
 表面に見えてくるさまざまな原因があります。地域医療に携わる医師不足や医師自身の高齢化、看護師不足、高齢化と老老介護の世帯の増加など。高齢化社会にますます突入していく日本社会、いかんともしがたいこともあるのは確かです。
 しかし、医療者ー患者の双方の理解不足、意思疎通不足が生み出すロスも間違いなくあるはずです。その根源はどこから来たのか?私の思うに、「信頼の消失」、「自分のまわりさえよければいい、という”小市民主義”」の2点が大きいと考えます。
 「信頼の消失」:古き良き時代がすべて良いものだったとは言いません。しかし、昔のような「お医者様」と呼んでドクターを尊敬し、医師によるパターナリズムによって患者さんに対する医療の提供がなされていた時代には、医師に対して大きな信頼があった。しかし、これまでの医療過誤やら医療の不祥事によって医師に対する信頼が失われ、患者サイドは自らの権益が不届きな医療者に奪われまいと権利を主張するようになった。ある意味、医療者に対して対立構造を取るまでになり、何か不都合や不利益、場合によっては不可抗力として思えない不幸な事態、医療行為につきものの合併症などについても、同意書の説明項目に含まれていない合併症がひとつでも見つかったときには「その説明は受けていない」と逆に重箱の隅をつつく戦法を用いて訴訟の材料とするようになる。患者に権利主義が蔓延すれば当然、医療者は訴訟に巻き込まれないように自らの防御態勢を整えるようになる。緊急事態の場合、特に救急医療などで私も経験してきたが、本来ならば本人や家族に対する説明は簡略に切り上げてすぐにでも蘇生処置を急ぎたいという状況であっても、訴訟のリスクが大きく伴うだけに、蘇生に優先して何枚もある説明書と同意書についてひとつひとつ説明し、お互いの署名をすることになる。そして、以前ならば自らの危険を顧みずとも医師としての使命感によって患者のために尽くそうとしていたのが、余計なことには手を尽くすことなく、あくまでビジネスライクに対応するにとどめる。そうして、徐々にお互いの距離が生まれていく。やがて、意思疎通不足が生まれていく。
「自分のまわりさえよければいい、という"小市民主義"」:古来日本には、物理的な「個人的隔離、いわゆるプライバシー」ではなく、精神的な「プライバシー」というものがあった。その代表例のひとつは、日本家屋の大きな部屋のなかで間仕切りを置くだけでプライバシーを保つという分化である。日本人は、お互い様というもちつもたれつの関係のなかで日々の生活を支え合い、互いの合意と信頼のもとでそれぞれのプライバシーを守り合うことができていたのだと思われる。一方、欧米や大陸の世界は、収奪の応酬の歴史がそうさせるのか、物理的なプライバシーが保たれることを重視する。コンクリートやドアでひとつひとつの家屋や部屋が明確に隔別された西洋式の建築様式はまさにその象徴である。西洋人の私生活に対する考え方も、仕事が終わればすぐに私生活のモードに入り、仕事との切り離しが明確であったり、仕事の付き合いに後ろ髪を引かれるような感覚がなかったりというのは、悪い意味ではなく物理的なプライバシーが重視されてきた文化の象徴であろう。この西洋の感覚を、日本人は生活様式が西洋化するにつれて徐々に取り入れざるをえなかったのかもしれない。もちつもたれつの連帯が薄れて個人の物理的なプライバシーがそれぞれの世帯で広がっていくようになると、どうしても個人同士の意思疎通は薄くなり、徐々に他人との距離が生まれていく。距離ができることで互いの考えを伝え合い、話し合う機会が減っていくことで、もうこれ以上深入りする必要もない、とビジネスライクな関係がやがて均衡状態となっていく。

この”小市民主義”が現在の日本社会にこれほどrelevantなものになってしまった以上、現在の均衡状態を打破して次の均衡に遷移するのは相当の努力や時間や世の中の情勢の変化を待たねばならないでしょう。「自分さえよければそれでいい」というポリシーのみで生活する小市民主義者にとっては、他人に関わるストレスもなく、さらに他人から干渉を受ける煩わしさもなくなっているため、現状の均衡から動く必要など念頭にも及びません。一方、お互いに小市民主義を貫くことで世の中の多くの不経済や非効率、そして相互信頼の欠如を多数生み出すという本質を見抜いている人にとっても、本来ならば状況を打開すべく努力したいところなのにも関わらず、結局のところ小市民主義者の協力なくしてこの問題が打開されないことを痛感しているがために、その打開のための努力をしようとは思わなくなるのです。

年齢に応じた、わが体質変化の記録

現在37歳。若輩とはいえ、なんだかんだ3周り目に入った我が人生。
精神的な面では、物心がついた時点からあまり成長がみられないように思えますが、やはり身体的な面は物理法則というか、
生物学の法則に則って次第に変化していくもの。ただし、「衰えていく」ということが少なくとも正しいとは考えられません、
生きとし生けるものは必ず老いていくが、それは年齢に応じて変化していく、適応していくということ。

その記録を残したいと思います。

?15-16歳:それまではからだの使い方など、感覚で次第に身につけることで習得できていた。しかし、以後は「どのようにして
この部位を動かすべきか」といった言語的な入力を理解させてから、自分の描く理想像にいかにからだの動きを近づけていくか、という
作業になった。言語化することによって、スランプ時には修正することがわりと容易になるというメリットがある一方、頭で考えて
から動きを生み出すため、誤った入力が入り固定化してしまうと変なクセが形成されたり、競技において過度なプレッシャーに潰され
かけたりするデメリットが生じた。

?18-19歳:それまでは、前日までの疲労はその日じゅうに解消され、後のパフォーマンスに影響することはほとんどなかった(筋肉痛は除いて)。
しかし、以後はからだのメンテナンス、例えばストレッチやウォーミングアップ、クールダウン、必要な栄養摂取、マッサージなどの
「手入れ」が十分でなければ、後のパフォーマンスに大きな支障を来たすようになった。当然、ケガに対する恐れも高まるようになり、
なんらかの外傷や捻挫などのいわゆるケガから、肉離れや筋膜損傷、さらに腱や靱帯などの付着部付近組織の損傷のリスクが高まるようになった。

?27歳:それまでは、日焼け跡は真っ赤になって皮がむけて、そしてもとの状態の肌に戻っていた。しかし、以後は真っ赤になって皮がむけるところ
までは同じでも、シミやほくろのようなものが形成され、それらは消えることなく残るようになった。

?30歳:それまでは、なんだかんだ言っても当直勤務でほとんど眠れなかったとしても、ほどよい緊張感とやり甲斐のためか、翌日の
勤務に大きな身体的ストレスを感じることは少なかった。しかし、以後は翌日の勤務に大きなパフォーマンス低下だけでなく、心拍数上昇や
易怒性などの自律神経系への影響を強く感じるようになった。

?35歳:それまではあまり意識することがなかったのだが、唾液分泌や涙腺分泌が明らかに低下した。簡単に言えば、腺機能の低下ということか。
口腔内の渇きやねばつきを自覚するようになったり、自転車やランニングで風を切ったときの眼の痛みなどを自覚するようになった。

また、身体的な面とは異なるかもしれないが、反復練習によって習得したものを想起して実行することが明らかに下手になった。
さらに、(普段は涙腺分泌が低下したのに)感極まると涙腺の制御が不十分となり、感動すると涙もろくなった。