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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

Story-driven は危ない

 研究には2種類ある。

①Story-driven research

②Data-driven research

の二つである。

①Story-driven research(物語ありきの研究)とは、「AはBである」という仮説が正しいはずだ、と信じ切って、それにそぐう実験結果を積み重ねること。

一方、②Data-driven research(実験データありきの研究)とは、「こういう実験データが積み重なったので、このデータからAはBなのか?という次の命題が生まれ、この問いに対してデータをさらに積み重ねていくこと。

 

 ①の「AはBである」仮説が絶対に正しいとは限らない。しかし、このresearchにおいて、「AはBではないかもしれない」というデータは、「間違い、または実験ミス」と評価される。よって、「AはBである、っぽいデータを出してこい」ということが要求課題となる。さらにいえば、「AはBである」という仮説以外の「CはDかもしれない」といったスピンオフのごとき新たな仮説を相手にすることもない、「余計なことはやるな」の一喝をもってひとつのアイデアの種は摘み取られる。

 一方、②のresearchには、どんなデータが出たとしても、そのデータが正しいのか誤りなのかは、その単発的なデータそのものが評価されるものではない。あえていえば、「実験方法が正しいのかどうか」というまさに”科学的な”妥当性のみが議論される。ポジティブコントロールとネガティブコントロールという、その実験系が正しく行われていたのかどうかを推測することができるのは、このコントロール実験をいかに丁寧に行い、評価できるかである。そのためには、実験データを吟味することができることが大前提であり、実験という科学の現場に足繁く通う経験こそが重要なのだろう。

 「実験のことはわからないけど、アイデアだけはある」などということはあり得ない。アイデアは現場でこそ生み出される、そう信じたい。