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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

20180715 保土ケ谷球場観戦の随想

 最近引越した住まいのすぐ近くにある、横浜市の公立高校の星とも呼ぶべき高校と、県内トップクラスのシード高である私立高校との好カードを観戦しました。公立高校であるにも関わらず、近所の高校は専用の硬式野球場を校内に持っていて、私と同じようにコアな古参の野球ファンがしょっちゅう練習を見に訪れます。だいぶ離れた丘の上にある実家の脇を通って海岸沿いの公園まで練習でランニングをする姿に憧れ、さらにちょうど自分が中学生くらいのときに甲子園出場を果たしていただけに、私にとっては本当の憧れの学校で、私の中高一貫進学校を中学で辞めて高校から入ろうと真剣に考えることさえありました。こうして近所に住むことができたのもとても光栄です。
 さて、試合前の会場はプロ野球の会場にも匹敵するほどの混雑ぶりで、案の定スタンドの入りも超満員、立ち見は出るわ、珍しく外野の芝の客席も開放されるほどでした。さすが強豪校ひしめく神奈川の高校野球ファン、この試合がどれほど接戦となることかを皆さんよくご存じです。炎天下のなか、選手や審判の方々はもちろん、父兄の方々や応援席の学生さんたちのひたむきな姿にただただ胸を打たれる思いでした。損得勘定なく、ただ目の前のことに熱中し、同士に声援を送る姿。
 保土ケ谷球場は私もかつて4試合ほど野球をする機会を得ましたので、とても思い入れが強い球場です。当時センターという外野手であった自分は、恥ずかしいほど自意識が過剰であったのか、とにかく人と違うプレースタイルで臨もうとしていたのでしょう。イニングの合間の練習中に逆立ちしてみたり、前転宙返りをしてみたり。今思うと、かなり浮いていたと思われますが、それでもそれを跳ね返すためにプレーで返すしかないという感覚であったのでしょうか、当時はチームの中心メンバーであることを自負していたこともあって、それこそ自信を身にまとっていられたのだと思います。
 以下、試合をみながら思ったこといろいろをつれづれなるままに。
 
 両校とも、人やグラウンドへの挨拶や礼儀が本当に素晴らしい。特に感心したのは道具の扱い方の丁寧さ。フォアボールで出塁するときに、誰もが金属バットを丁寧に地面にそっと置く。バットボーイも丁寧にバットを拾っていく。守備側のチームもスリーアウトチェンジの際にはマウンドにボールをしっかりと置いてベンチへ引き上げていく。「今のティーネイジャーは…」「今の若者は…」などとついつい小言をいいたくなってしまう今の時代、しかし彼らは生まれ育った現代を必死に生きて、良いところも悪いところも感じながら、それらを自分の糧にすることができているのだろう。特に、優しさや仲の良さを大事にできるところは、悪くすればSNSの過剰な蔓延ということになるかもしれないけれど、チームワークという面では強い結束を生み出すことができているようだ。彼らが野球部の生活を選んだことによって学んだのは、野球の技術や体力だけではなく、人としてたしなむべき人格であったり仁義礼智、惻隠の情であったり、大きな存在に対する畏敬の念であったりするのだろう。

 最近、バガボンドという井上雄彦さんの漫画を読むことがあった。ご存じの通り、17世紀初頭に活躍した剣豪・宮本武蔵の流浪の人生を描いた吉川英治さん原作の時代小説を漫画化したもの。私は宮本武蔵の生き方にとても影響を受けた人間のひとりで、宮本武蔵の記したとされる五輪書からはいろいろな勝負の場面でいつもその教えが頭をよぎるものである。「厳しい状況において、いかにして勝つか?」という問いに対して、変に格好つけるのではなくとにかくあらゆる工夫をして最善を尽くす、時には集団で戦うもよし、太陽光や強風、豪雨などの天然の要塞を味方につけるもよし、勝負の前に周到な下見や準備をすることも重要。このバガボンドの終盤において、武蔵は吉岡道場の約70人との決闘を挑まれることになるが、そのなかで武蔵は戦いに臨むときには勝利を意識しすぎて身体を硬直させることや怒号で相手を威嚇することはむしろ自分の身体のなかに流れる流れを殺してしまうものである、むしろ、「ぬたあん」と柔らかく、空気と戯れるようにしていることが重要であることを悟る。とても腑に落ちた言葉は、「自信の空気が自分の身体を越えて染み出していき、相手や自然と一体となる」ときには敗れることがないというもの、また、「状況が極端に不利になったとき、最も恐ろしいのは不利になった状況そのものではなく、自分が不利であると思ってしまう恐怖そのものによる萎縮である。さらに、こちらが不利な状況であるとき、相手はそれを意識せざるをえないのだから、相手には心に油断が生まれうる。そのようなとき、相手はその有利な状況を頼りにして戦っていることが多いので、それが彼らにスキを与える」というもの。野球の打席、または投球の際を思うと本当にその通りだと思う。野球の対戦はどうしても静から動へと向かう局面となり、心の持ちようが大きく影響する。特に、「絶対に打ってやる、絶対に討ち取ってやる」という気負いがよぎってしまうと、身体は硬直してしまいどうしても本来のパフォーマンスを発揮できない。今も時々野球部のOB戦などで対戦することがあるが、本当にその通りだなと思う。現役の高校生は、それこそアスリートとしての気負いがあるせいか、練習通りならもっとよいプレーができるのに、それをうまく発揮できない子が多い。一方、我々OBは特に失う者が何もない、ここでミスしたってレギュラー争いに影響しないせいか、純粋に心から楽しむべくプレーができる。年の功のおかげかもしれないが、面白いようにいいプレーができてしまう。こういったことを、現役生に伝えてあげたい、そう思う気持ちがある。一方、それを伝えなくてもよいような気もする。なぜなら、このような感覚はその道を究めるべくして努力を続けていった末に必ずどこかで悟るものであって、外から押しつけられるべきものでもないと思えるからである。それに、全力で追い求めている高校生の気負い自体も、非常に美しいものであり貴重なもの。その気負いのなかで得た苦い経験も成功体験も、どちらも彼らの素晴らしい財産となるだろう。高校野球は勝ち負けだけが価値ではない、現に保土ケ谷球場に詰めかけたいい年した我々観客たちは多くの感動を選手やスタンドの関係者たちから受け取っているではないか。

 猛暑のなか観戦するのも決して楽ではなかったが、やはり生での試合観戦は素晴らしいものだ。そして、私とほぼ同じように観戦している観客たちも、またなかなかのものである。本当に野球が好きで、高校生の懸命な姿が好きで、特にひいきのチームがなくても両チームの好プレーに割れんばかりの賞賛を送る。日本人にとって野球を愛でる文化がここまで根強く存在していることにも大きな喜びを感じた。