熱く楽しく挑戦する!

分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

日本が貫く武士道

 またまたご無沙汰しております、四月より横浜に再び戻り、現在は母校で基礎研究に携わる機会を得ております。
ここのところ、実験の合間に大河ドラマや歴史ドキュメンタリー番組を観たり、それをきっかけとして休暇をみては
史跡を訪れては、日本や世界のために命を捧げた偉大な祖先に思いを馳せています。それと同時に、もちろん歴史の解釈とは
ある一方向からの視点から切り出したものであればこそ、正しい解釈など存在しないのかもしれませんが、私が小学校から
大学にいたるまでの過程で学んだ歴史とはだいぶ違う歴史があったのではないかと思うのです。
 今年に入って、中国および韓国における日本人に対するバッシングや侮辱は、きわめて残念ながらスポーツの場や
海上、ビジネスにおいても散見されております。それとは別に、果たして意図的であったのか誤りであったのかは定かではないけれど、
日本の最大手新聞社による従軍慰安婦の報道がでっちあげであったことが明るみに出ました。幼いながら私は小学校の日誌に、
日本の先祖はとても立派だと思うけど、従軍慰安婦の問題だけは何のいいわけもできない恥ずかしい過ちだと思います、といったような
ことを書いた記憶がはっきりと残っていますが、やはりそのような事実はなかったわけです。
 第二次世界大戦に思いを馳せれば、もともとは第一次世界大戦後、戦地とならずに軍需景気で好景気を迎えたアメリカでのバブル崩壊
が招いた世界恐慌によって各国でナショナリズムが台頭したことに、開戦の発端がありました。日本とて、ただ侵略と略奪したいがための
義のない戦を好んで行ったのではなく、列強による経済封鎖、ABCD包囲陣に代表される日本に対する非人道的な政策にさらされたがため、
やむを得ず経済圏と資源の獲得のための戦であったわけです。真珠湾攻撃にしても、歴史の教科書には奇襲攻撃などと表記されておりますが、
日本の宣戦布告をアメリカ側の交信局による落ち度であったという証拠がいくつもあがっており、暴走した軍部とはいえ、武士道を礎として
育った明治、大正、昭和初期の日本人がそのような士道にもとらぬ戦い方などするはずがない、私はそう信じております。
 兵士同士の殺し合いのみを合法とする戦争のなかで、日本は東京大空襲や沖縄での激戦など、無抵抗の一般人が攻撃の対象となった
悲劇を経験し、中立条約を締結したソ連に参戦され、あげくのはてに広島、長崎に唯一無二の原爆の悲劇を受けました。さらに、戦後は
敗戦国の戦争指導者を戦犯とされ、東条英機をはじめとする7人は処刑されました。多くの法学者、国際問題の学者が異を唱える判決に
ついても、彼らは日本の将来のために甘んじて処刑を受け入れたと聞きます。戦後、地道にこつこつと復興を遂げた日本は中国や韓国などの
周辺諸国とも国交を回復し、多くの経済協力や援助を続けています。そのなかで、常に自国がかつての戦犯の国であることを踏まえながらも、
戦争時に生じた憂いの解決のために補償に奔走しました。日本が戦中に受けた数々の非業、悲劇を引き合いに出すことなど一切なく。
 私の心の中では、これまでの日本を築いてこられた祖先の義を重んじる心、武士道の精神を受け継いでこられた生き様を誇りに思います。
と同時に、武士道を貫くがゆえに己の罪を恥じ、謙遜のなかで相手を尊重する姿勢をもつ日本人に対して、それならばと乗じて日本人を
徹底的に攻撃し補償やら謝罪やら、あげくのはてには敬意を表すべき英霊の眠る神社への参拝にまで口を出す、そのような者がはびこって
いることが悔しくてたまらない。かつて、クラスのなかではぶられないがしろにされた小学生がまわりの子に暴力を振るった、その後
こてんぱんに上級生にいたぶられたあと、一度でも振るった暴力をネタにずっとずっとゆすられている、そんな状況をみているようです。
 武士は脇差しと太刀を携えていました、必要があれば命をかけて刀を抜いたのでしょう。日本にも、世界に誇れる軍事力を持っています。
しかし、日本はおそらくその刀は抜かないでしょう、そして私もできれば抜いてほしくない。抜いてしまえば日本の武士道は輝きを失って
しまうかもしれない、しかしこれ以上日本の祖先や日の丸が侮辱され続け、日本に義のある戦ならば刀を抜かなければならなくなるのかも
しれません。日本人の子孫として恥ずかしくない時代、21世紀にしたいと思います。