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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

日本人のバカの壁

 ひとりの、被災したとはいえませんが、少なくとも脅威にさらされている者として、一言述べたい。 

東日本大震災によって多くの方々が被災し、日本がおかれている国際情勢、経済不況、国力低下によるアジアでの日本の位置の揺らぎがただでさえ生じている時代にあって、日本はいまなお窮地に立たされている状況であることは間違いないでしょう。
 
 そして、地震による被害に拍車をかけたのが原発問題です。詳細は述べませんが、この震災による原発事故を経験し、日本人のみならず海外でも原発に対する信頼が底に落ち、原発反対のデモが繰り広げられようとしています。また、原発事故の責任はひとつの電力会社と、事故の対応に追われる政府に集中砲火的に追わされようとしています、マスコミも連日その報道にもちきりで、肝腎の被災地への支援や現状の課題と解決手段のありかたを伝える報道は少なくなってきています。

 みなさんに考えていただきたい。

 原発事故の責任は本当に電力会社1民間企業にあるのでしょうか?そして、大量消費社会に十分な恩恵を受けてきた我々が、本当に原子力発電を否定しきってよいのでしょうか?

 私は養老孟司さんの「バカの壁」という本を読んで大いに考えさせられました、私が学生時代の頃のことです。最も感銘をうけたのはこのようなメッセージです、「飛行機や電車、家電など、我々が普段当たり前のように使っている科学技術は、我々はどこかで100%信頼できるものであり絶対に故障や事故など起こらないと思ってしまうが、人間が築いたもので100%安全であり完全無欠なものなど存在するわけがない。その前提を無視して、事故が生じた際には事故に直接かかわる企業や人間に全責任を押しつけ、彼らが罰せられればそれでその話題は一旦終わり、いつのまにか記憶から消えていく」というようなものだったと思います。

 今回の原発事故にしたって、同様のことでしょう。原子力など原爆の有効な利用であって、どんなに日本の優れた技術者が安全設計に腐心したとしても、人間のできうる想定の外に生じる不確定性によって事故など起きて当然のもののはずです。それを承知の上で我々はそのおかげで成り立つ生活を送ることができていたのです。日本の電力の3割は原子力です、この下支えがあったからこそ、われわれは四季を通じて部屋の中で快適に暮らし、テレビをみて夜中に電気をつけ、真夏に冷たいアイスクリームを食べることができるのです。

 原発の反対運動デモに参加する人々、私はそのエネルギーに感銘を受けます。私は言論では政治や行政に訴えることはできても、行動に移すことはいまだできていません。しかし、彼らに聞いてみたいことがある、原発に反対するということは、今の現代社会の生活を手放すということであり、その覚悟が皆さんにはありますか?と。また、電力に完全に依存して生きる人間が大半である現在、原発事故の原因が本当に電力会社だけなのでしょうか、電力に依存していた自分自身は責任を感じないのですか?と。

 原発に反対する方はよく、それなら自然を活かした代替エネルギー原子力の分をまかなえばいいじゃないか、と言います。確かにその通りです、おそらく世界的にも、また科学技術の世界でもそれが正しい道であり現在のトレンドになっていくでしょう。しかし、それがどれほど大変な道であり、多くの研究費を必要とし、研究者のどれほどの犠牲が必要となるのか、ということを意識しているひとはどれほどいるのでしょうか?また、代替エネルギーなら是万歳と手放しにいえるのか、またそれに付随する問題が必ず生じてくる。利点と欠点はあらゆるものにあるものです。そのことを意識している人がどれほどいるでしょうか?

 確実にいえることは、これまでの生活を続けることはできず、我々の生活をひとつずつ見直して行動に移す必要があるということです、それこそ社会のなかでみればミクロなものですが、このミクロな変化こそが社会にとって最も重要なものだと思います。政府や首相を変えたところで何も変わらない、首相の力などその程度でよいと思います。戦後の日本人が日本の復興のために、汗と涙を流して人生を仕事と家族計画に取り組んできたように、今の日本人も自分にできることをひとつずつ見つけて取り組みつつ、今後の科学技術に対して興味をもちつづけ見守っていくことが大切だと思います。責任は1つの電力会社などではなく、自分自身にあると思うことが大切だと思います。