熱く楽しく挑戦する!

分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

全力少年

ご無沙汰しております、本当に久々にブログします。
いろいろと事情あって、現在は郡山の病院で働いています。昨年は地元の神奈川に戻ったわけですが、仕事上なかなか思うように仕事できなかったり、人間関係に悩まされたり、そして田舎暮らしから都会暮らしに急遽戻って生きづらさを感じたり、などなど、どちらかといえばマイナス要素が多くあったのがきっかけです。もちろん、もっと熱く仕事がしたいという情熱こそが原動力でありましたが。。そして、こちらの病院の先生方に温かく迎えていただき、現在は熱い同僚に強く刺激を受けながら、そして自分の無知無力を痛感しながら仕事させてもらっています、本当に感謝の一言です。
今までなかなか表明しづらかったことであり、しかし一方で、やはりこの思いを誰かに聞いてもらいたいと思って、このブログを書くことにしました。
神奈川から福島に戻ることを本格的に考えたのは昨年の7月です。実は4月のころからすでに衝動は始まっていたのですが、それはさておき。。そのことばかり考えていたためか仕事でもミスが多くなり、思い切って上司に相談して、1週間休みをいただいて福島に遠征したりもしました。そんな中で、自分の背中を強く押してくれた曲がありました、スキマスイッチの「全力少年」です。
ちょうど昨年はロンドンオリンピックの年であり、7月というとオリンピックの直前。私がとある関内の中華料理屋に入ってテレビの見える席に座って、オリンピック特集の番組をみていました。出場予定選手が、自分の気持ちを高める曲を紹介していくというものです。誰だったかは忘れましたが、そのなかでこの曲が紹介され、スタジオでは実際にスキマスイッチがライブで熱唱していました。私はこの曲を聴くのもはじめてであり、どんな曲なのかも知りませんでしたが、私はまわりをはばからずに目を潤ませてしまったのをよく覚えています。
実際のところはどうかわかりませんが、少なくとも当時の自分にとって昨年の環境は本領を発揮できる環境とはいえなかったと思います。それでも、地元であり母校のあるところでもあったりというしがらみがあり、かつこの業界では強大な勢力をもつ組織の一員であったのですから、ここから抜け出すことがどういうことを意味するのか、そんなことは誰でも想像できるものであり、それこそ「仕方ない」と自分に言い聞かせて現状が改善するのを、まるで強風がやむのを待って身を寄せるように生きていくということもやむを得ないと考えて当然だったと思います。しかし、やはり自分の性格がそうさせるのか、それでは済まされない信念が消せずに残っていたのだと思います。そんな思いを、「全力少年」は自分に思い出させるとともに、実現させることの勇気を与えてくれたのです。
それから半年間は辛抱の時間が続き正直辛いものでありましたが、たくさんの友人や母校の先輩同期後輩に支えられ、また職場でも少ないながら私の思いを理解してくださる方々に支えられて、なんとか与えられた1年という任期を全うすることができました。また、任務が軽いならば軽いなりに、研究データをとってみたり今までやったことのないレジャーに挑戦してみたりしました。このきっかけを与えてくれたのも、研修医の時代に出会ったリサーチマインドに満ちあふれた指導医の先生にであったり、医学生のラボ時代にお世話になった先輩に出会ったのがきっかけであり、本当に感謝の思いで一杯です。
これまで自分のやりたいようにやってきた私ですが、やはりそれだけではかなわないことも自覚するようになりました。いずれは地元に戻ることとなります。どこまでできるかはわかりませんが、「全力少年」が教えてくれた自分の信念を信じて生きていきたいと思います。