熱く楽しく挑戦する!

分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

政治家はプロにならねば存続できない

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170818/k10011103991000.html 

以前、堀江貴文がテレビで話していたのはこんな感じの内容。
「これまでは全員参加型の直接民主制は、現代社会では実現不可能だった。だからこそ、
国民から選ばれた代議士による間接民主制が行われていた。ところが、インターネットや
スマートフォンが普及した現代にあっては、もはや全国民による直接民主制が可能な
時代が来ている。となると、もう代議士=政治家は必要ないんじゃないか。」
ただし、堀江は、民主主義を必ずしも肯定しているようではなかったようですが。

 考えてもみなかったことでしたが、当意即妙、確かにその通りかもしれない。
あくまで、全国民が合理的で倫理的であることが大前提となる議論ではあるけれど、
技術的には全国民が参加する投票や議論に基づく政治体制はもはや可能ではある。
さらに、大義のみならず実力にもまったく信頼をおくことのできない野党第一党
依然として存在し、閣僚が新たに就任したかと思えば期待を裏切る発現や態度、
国会では見せない本性が腹心である秘書に暴かれる女性議員、さらに昔取った杵柄を
寝床にして当選した新人議員があっさりと足をすくわれてしまう、現在のおぼつかなき日本の政治。
かれら代議士が、一般大衆からランダムに抽出した日本国民よりも圧倒的に立派な論理性と倫理観を
有している、ということが統計的に是とされるのかどうかも、もはや疑わしく思えてしまいます。

となると、政治家はひとりひとり、プロフェッショナルとしての「政治家力」を持って
比較優位性、独自性を有していなければ、もはや政治家としての生業、職業を失うことは
やむを得ないのかもしれません。さらに、通常の常識的な感覚からすれば、会社員の平均年収の
数倍の年収をもらっている限り、その政治家力にはそれ相応の価値が認められなければ、
国民からの批判を免れることはできないと思われます。

近年は、失言を取り締まる監視のような風潮がはびこっていて、政治家の方々もよほどの
弁論術やレトリックを普段から鍛えておかなければ自分の立場が危うい状況となっておりましょう。
しかし、権力を持った公僕であることを自ら望んだ政治家の皆さんは、こうした厳しい状況でも
高いパフォーマンスを求められているのです。逆に言えば、これまでが彼らのごとき「権威」に
対する監視が不十分であったのかもしれません。

 かつて大学時代に、一緒に懸垂逆上がりやTバッティングをやっていた井出さんが民進党
代表選に出馬しました。個人的には、大義も実力もない民進党には完全に信頼を持てておりませんが、
井出さんのような気鋭の若手議員が変革に取り組んでくださることを心から願いたいと思います。