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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

ハワイと日本の道路に見える、少数者に対する思い

 先日、夏休みということでハワイ島に観光に行きました。

 人生初の渡米ということで、ハワイという離島であるとはいえ、アメリカの雰囲気を
感じられるという期待に満ちあふれ、そして現地で左ハンドルの外車をレンタルし、ぶっつけ
本番で右側車線の道路を走る機会を得ました。普段から日本の道路を運転している自分にとっては
何度も左車線に入りかける危険を感じながらも、新鮮な感激を覚えることとなりました。
 まず、右側車線からの右折については、交差点の信号が赤であっても、慎重に安全を確認しさえすれば
右折してもよい、という日本では驚きのルールがありました。"Yield"という標識が右側に立っているのです、
「自分で(利益を)生み出しなさい」というような意味合いでしょうか。合理的なアメリカの考えを象徴しており、
確かに、日本の道路を走っているときも、明らかに安全で左折できるときには「ここは、左折専用信号があってもいいのになあ」
と思うことはよくあります。
 安全と効率性は表裏一体であり、どちらかを追求すれば片方のクオリティが低下してしまうのは、原則として
世の中の常です。そのことを踏まえつつ、日本もこのルールに学ぶべきことがありそうです。

 もう一つ、私が感銘を受けたものに、自転車専用道路が明確に存在していることです。もちろん、十分な
道路の幅が確保できるからこそでしょうけれども、わかりやすく青色に色づけされているだけでなく、自動車用の
右折専用走路と、直行したい自転車専用道路の交わるところには、予め交わる交差点があることを示す標識が
数十メートル前に立っている。これは、自転車走者が左折専用走路の車によって「威圧的に」排除されてしまう
日本の道路のカルチャーとは決定的に違うものだと思いました。
 日本の道路においては、「自動車が上、自転車は下。よって、自転車は自動車に配慮して邪魔しないように走るべきである。」
という暗黙のルールが存在しています。しかし、日本の多くの道路は幅が狭く、さらに現在のような高速自転車が
飛び交う時代を見越して都市設計されていないがために、自転車は車道の最も左端を走らざるを得ません、まるで
「自動車から避難するように」。道路交通法では、自転車(軽車両)の走行規則は、「車道の左側を走ること」としか
明記されないのだから、極論を言えば「自分は道路のどちらかといえば左側を走っている」と主張すれば、車道の
ど真ん中からほんの少しだけ左側を堂々と走行したって何の問題ないのです。それは、最低速度が設定されていない
自動車高速道路において、時速40キロメートルくらいゆっくり走ったとしても誰からも非難される筋合いがないことと
全く同じ論理です。危険に対する注意喚起でない、「威圧的な」クラクションの多用は違法です。自転車で車道を
走行しているとたびたび、ただただ走っているだけなのに明らかに「威圧的な」クラクションを鳴らしてくる
自動車が散見されるが、彼らの行為は明らかに違法です。こちらがナンバーと車種を記録して告発すれば、
彼らは行政処罰の対象となります。
 アメリカの社会には、多様なカルチャーと人間を受け入れる包容力があるためか、多種のマイノリティー
存在を尊重する土壌があるのでしょう。とはいえ、ちやほやするのではない、存在自体は尊重しつつ、基本的に
互いの存在は自己責任で保持せよ、ということなのだろう。ハイウエイには中央分離帯のない対面通行で
最高時速が60マイル(100 km/h)という道さえもありました。
 
 さらに、レンタカー会社で借りた車についていたカーナビゲーションにも関心した。なんと、走行予定ルート
の途中にスクールゾーン(小学校などの学校の近くの道路や横断歩道)が明記されているのです。しかも、
「これからスクールゾーンに近付きます」といったことを音声案内する。子供は社会が全体で守り、育てる、
そんなスピリッツを感じました。
 
最後に、コナという海岸沿いで観光客でごった返す繁華街を通る道路では、優先道路も信号機もなく、すべての車が一旦
停車してお互いの安全を確認しあう「全方向停止」という信号機も存在します。当然、優先と被優先の関係性が
ないのだから、ドライバー同士ゼスチャーや目配せなどでコミュニケーションを取って最も安全な通行を達成させる。
ここにも、社会をみなで相談し合いながら、よりよい社会を作り上げよう、といったようなカルチャーを感じさせてくれるものでした。