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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

初心

 私の後輩に、今年医学部の編入試験を受験しようとしている頼もしい大学四年生がおります。彼女は生命系の理学部の学生ですが、一人でアジア各国を旅行したりボランティアに積極的に参加してみたり、一見大人しい子ではあるもののなかなかの行動派であり志高き人です。アジアの民の生活環境の劣悪さを目の当たりにして、将来は公衆衛生の観点をもちながら基礎研究に携わるドクターを目指すようです、彼女にとって最高の結果となるよう、八百万の神様に日々お祈りしているところです。
 そんな後輩から、志望動機や将来の医師像に関する小論文の添削を頼まれていました。非常に輝かしく貴重な志と言葉の数々にいちいち感激してしまいましたが、ふと自分の初心というものを思い出すのも大事なのでは、と思いここに記したいと思います。

 小さい頃からほとんど病気らしい病気をせずに育った自分でして、手術はおろか入院さえしたことがありません。外遊びや部活などで怪我することは多かったので、その中でお医者さんにお世話になることはそれなりにありましたが、よく医学生の志望動機にある、「自分が以前お医者さんに助けてもらったから、自分も患者さんに感謝される立派なお医者さんになりたい」という類のものではありませんでした。そもそも、私は文系の経済学部生、かつ週6日練習する野球部員でしたし、就職活動も文系学生として行っておりました。とはいえ、恥ずかしながら大学4年になった時点でも自分が赴くべき進路に対してちゃんと向き合うことはなかったように思います。体育会に所属していただけに、先輩のコネを利用すれば「入ります!」と叫んだ瞬間にほぼ内定が決まるような状況だったので、就職浪人となることはないだろうと余裕をこいていたのもありました。部活を通して医療業界に何となく興味を抱いていたので製薬会社を受けてみたり、または経済系でマイナーだけどインテリジェンスをもって働くことのできるシンクタンクの職種を受けてみたりしましたが、自分が人生をかけて熱くなれるのかどうかは半信半疑のままでした。そもそも、自分は文系学生という道で本当によかったのかどうか、高校のときに成績がよかったのが文系科目だった、ただそれだけの理由で文系になったものの、どうも自分が熱くなれる分野は文系の人に有利となる分野にはないのではないか、そんなことを大学の労働経済学を受講しながら思ったのをよく覚えています。
 そんな感じで日々進路に悩みながら生きていた大学4年の夏、私がよくお世話になっていたスポーツマッサージのトレーナーの方との会話で進路の話になった際、医療の分野に携わるなら絶対に医者になったほうがよい、ということを強く言われました。その時、医者という選択肢が初めて登場したのかもしれません、そもそも私にとって医者という存在はとても遠い存在であったのです、もちろん高校の友達に多数の医学生が当時いましたが。大学の構内にあるスポーツジムの利用者名簿の記入欄に「医学部」などと書かれていると、「医学部生や医者もジムとか理由するんだなあ」などと思っていましたし、経済学部の近くの医学部棟にかかっていた「病理学教室」という文字をみただけで、この建物に入ると何かの病気がうつるのではないか、などと馬鹿なことを真剣に思っていました。ちなみに、当時の私は、医者はすべての病気を治すことができる、と真剣に思っていました、医療関係者ではない一般の方ならそういう風に考えていてもおかしくない、私は自分がかつてそうであったがために、この感覚を今でも大事にして仕事をしています。

 医者という職種についてよく考えてみたときに、確かに医者という仕事は生物学や化学などの理系の専門知識をもちながら、手術などの細かい手作業を駆使して患者さんのために努力する、それだけではなく未来のよりよい医療のために研究活動も行い、さらには行政や企業のなかで働くこともできる、有識者会議や公聴会などに参加すれば国会議員にならなくても国政に大きく貢献することだってできる。これほど多岐にわたり、そして大きな責任のある仕事が他にあるだろうか、そう思ったときに私は医者に対して大きな情熱を抱くようになったのです。さらにいえば、私は何かひとつのことに特化する専門家、特に哲学者オルテガが述べた「大衆」のひとりになるのは望むべき人生ではないとかねがね思っていました。これほど大きなフィールドを与えられた医者という職業ならば、ひとつの専門家で終わることなく、私の人生の師たる西堀榮三郎さんのいう十年一節説の生き方を実践することができるのではないか。私はそう思い、医学部入学という最初の障壁を越えることができるかどうか半信半疑ではあったものの、思い立ったが吉日と信じてその日から受験勉強を開始したのでした。ちょうどその一月後くらいか、野球部の同期や後輩と富士登山を行ったときのことですが、山開きもしていない残雪深き山頂でお鉢巡りを仲のよい同期と二人で決行したとき、ものすごく急峻かつ残雪が深い下り坂を通らねばならない状況に立たされました。下手をすれば火口までまっさかさまに転落し、命が助かったとしても防災ヘリの救助のお世話にならなければならないような、恐ろしい道でした。そのとき、私は「こんなところで死んでしまったら、私が将来治すはずの1万人以上の患者さんを助けることができなくなる!こんなところで死んでたまるか、できるできないかの問題ではない、やるしかない!」と声に出して駆け下りたことを強く覚えています。
 その言葉通り、まだその人数には達していないでしょうが、私はこの道に人生を賭けて挑戦し、皆様のお力のおかげで医師の道を進むことができています、患者さんの力となることで私は多くの力に恵まれるようになりました。この初心は、他の方々にとってのそれも同様、私にとってかけがえのない大切な原動力です。これから医師を志す情熱に満ちた方々も、どこかで自分の初心というものが自分の背中を大きく押してくれる心強い味方となるでしょう、今の熱くて粗雑で無謀なまでの志をどうか大切にしてほしいと思います。