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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

安全保障法案に思う

 2015年7月15日、安倍晋三首相率いる自民党および与党の公明党過半数議席を占める衆議院の委員会で、集団的自衛権に基づく自衛隊活動の権限および活動範囲の拡大を明記する安全保障法案(安保法案)が可決されました。ほぼすべての野党は強行採決だと主張し、前日の議会を党員一致で欠席してみたり、採決時点になって急増のプラカードを持ちだして、「反対、反対!」のコールがかかる、というマスメディアにとって絶好の画を提供するに至りました。さらに、全国各地においても、安保法案を戦争法案と謳って採決反対のデモを繰り広げる大衆がマスメディアによって取り上げられていました、おそらくこうしてこのブログを書いている時点でも、内堀通りのデモは引き続き行われていることと思います。
 私個人としては、今回の法案の採決は明らかに急すぎると感じました。法律のことはよくわからない素人ですので専門家の意見に従うのがよいのでは、と考えておりますが、政府の推薦する法律学者の多くの方々さえもが今回の法案を違憲の疑いあり、とする以上、おそらく違憲なのでしょう。違憲の疑いのある法案を急いで採決にもっていったことは、必ずしも正しいことだということはできない。本来ならば、まずは憲法改正を優先させて法案が抵触しない憲法を整備したうえで、改めて議論を重ねて採決にもっていくのが筋なのでしょう。しかし、一方で、政府および安倍首相が採決を急がなければならなかった喫緊の理由があったことがあった、そう信じてなりません。政府も国際情勢を鑑みて真の理由を公然と表明するわけにはいかない、それが国際社会に生きる「戦犯」の烙印を背負った国の宿命なのかもしれません。特に、かつて日本と戦争したお隣の国が着々と軍事拠点を建設し続けているような状況では、なおさらです。ですが、近い将来の日本のさらされる危機を前に、現時点でのアメリカに頼りっきりな日本の危機管理体制では到底安全保障を国民に約束できる状態ではない、それに対して、国民に対して大バッシングを覚悟の上で採決にいたったのではないか。そう考えるならば、違憲の疑いある点があるものの、必要悪として急すぎる採決を選択したのだろう、私はそう信じています。
 デモで採決反対を訴える国民が、この法案はやはり必要だったのだ、という日が来ないことを私は願ってしまいます。なぜなら、この法案が本当に重要なものでありそのおかげで日本の危機が解消されたと実感できるのは、まさに有事の事態が生じたときだからです。お隣の国から無差別攻撃を受けたとき、アラビア湾から大事な石油を輸送するタンカーに乗った日本人または日本企業が紅海やマラッカ海峡東シナ海で襲撃を受けたとき、日本は果たしていつまで現在のようなアメリカに依存しきった体制を望み続けることができるでしょうか?その被害者のなかに自分の家族、恋人、友達がいたとしたら?結局、不良に暴力を振るわれたとき自分は手をださないでぼこぼこにされてでも耐えて、協力な友達にやり返してもらいたいのか、それとも、不良に暴力を振るわれたら自分も友達と協力して立ち向かう、友達がやられたらそのときと同じようにその友達を助けにいくようでありたいのか?外国から攻撃を受け、家族や友達が亡くなったり重傷となっても憲法9条を誇りとして自らは反撃せず、アメリカ兵に攻撃してもらいたいのか、それとも、我が同朋の無念を晴らすためにアメリカと共に行動に出るのか?そういうことではないでしょうか。その意味では、今回の政府の判断と対応に対して、野党およびデモに参加する大衆をみるにつけ、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」と思ってしまうのです。
 法案に反対される方々の心情ももちろんよくわかります、そして私も戦争には絶対に反対です。日本は自ら戦争状態に持ち込むような政策を2度と行ってはなりません。ただ、法案に反対の方々の心情の奥底には、「日本の現在に危機的事態は起こらない、そして危機的事態はアメリカに起こりやすい」というビリーフが存在しているのではないでしょうか。現在の安全保障体制のままでお隣の国から攻撃をうけた場合、日本だけで対処し続けることは絶対にできないと私は思います。しかし、緊急事態というのは残念ながら平和ぼけしてしまった日本にもいずれ到来するものです。緊急事態に対する意識や理解は、残念ながら通常の平和な社会に慣れきった方々には非常に遠い世界での出来事となってしまいがちです。私は仕事がら緊急事態への対処を扱っているので、突然に緊急事態へ陥ってしまった患者さんの状態や、それに対応する医療従事者のこと、さらに合併症や残念な転帰となってしまったことに対して理解することはとても難しいものです。多くの医療訴訟は緊急事態にまつわるものです。そう、「私に限って、日本に限って、そんな危機はやってこない」、そう思ってしまうものです。一般大衆はそれでもやむを得ないのかもしれません、しかし為政者はそうであってはならないのです。緊急事態が迫り来る状況において、燕雀が怒号の大合唱をするなかでも、鴻鵠の志を大成させるべく尽力する。それこそが政治家なのではないでしょうか。代議士というプロフェッションを選択し、選挙でおおくの後援者に支援を受けて国会にきたにもかかわらず、議会に欠席するという暴挙をとる者に、鴻鵠の志など理解できるわけはないのです。いずれにせよ、この法案の背景に対する政府の憂慮が杞憂に終わってくれることをひたすら願うのみであります。