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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

資格 qualification

postblackjack2010-03-09

 友人に勧められて、Dear Doctorという映画を鑑賞しました。

 本編を見ていない方はこれを読まれないほうがよいと思いますが、もし
目にしてしまった人のために、本編についてはあまり触れないようにします。

 世の中、資格制度があふれており、それ自体が業務を行うことを制限したり
あるいは「〜です」と名乗ることを制限することだけでなく、世間として
その人にどういう能力があるのか、ということを透見する目安ともなるものとして、
社会を円滑に動かすためには欠かせないものとなっているものでしょう。

 その資格の本質とはどこにあるのか。

 それを取得したこと、あるいは取得したことがあること、または
その資格取得によって得られるべき能力をもっていること、一体どれなのか。

 ざっくりいえば、資格は持ってるけど能力がない、または資質がない人と、
資格は持ってないけど人から期待されるべき能力や心を持っている人、
本物の「資格に値する人」とはどちらをいうのでしょうか、ということです。

 制度や法によってずばっと判断する、あるルールで割り切るというのが
法律や制度の機能の一つですが、世間の中で割り切ることができるもの、
割り切ってよいものというのは果たしてどのくらいあるのでしょうか?
また、割り切らなければならないものとはどういうものなのでしょうか?

 私はこの手の問題について長らく考えてきましたが、一つの思いとして、
割り切ることができるものというのは実は人間性や精神性においては
それほど大して重要なものではない、その問題自体がなくたって(生存上では
大きな話となりましょうが)人間性を揺るがすほどの大きなものではない。
というよりも、人間の本質に迫ることを、人が作ったものさしで測って
ずばっと割り切ることなど、できようがない。人の罪とは何か、何が
正義で何が悪なのか、どの生命を救ってよくてどの生命は諦めざるを得ないか、
どの嘘が優しくてどの嘘が罪であるのか。

 一方で、割り切ることができない問題ならば、ルールに縛られ続ける
必要などない、人間性の問題には自分自身の人間性そのもので相対する
ことしかできないのではないでしょうか。

 だからこそ、世間に資格を付与された者は、資格によって制限された
業務のための能力の研鑽を行うことと同時に、自分の人間性を見つめ続け
ながら自分自身がどういう人間であり、自分の哲学、生きる指針、好きな
ものや嫌いなもの、許せるものと許せないものといったものを
よく知っている必要があるのではないでしょうか。

 私もあわよくばもうすぐ世間に資格を与えていただき、それをもって
職務を全うせんとしている者です。私が向き合う問題に対して、
自分の人間性をもって相対することで、人間性にかかわる本質にどこまで
迫ることができるか。そして、そのことによってかかわる人々や自分
の中に、新たな進歩が得られるのか。これからも一所懸命に
自分自身を磨いていきたいと思います。