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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

ナロードニズムは潰される

 正直言って、非常に情けない現実というものがあることを認めざるをえません。
しかも、それが個人による一時のものであるならおさまりようもありますが、集団
としての恒久的ともいえる現実というものであるから、簡単に収拾がつくものでは
ないのです。
 
 世界史で、19世紀後半の帝政ロシアの下で登場した、ナロードニキという集団
がいたことを学んだことがあります。その背景として、イギリスやフランス、ドイツ
などの西洋諸国が次々と工業化、そして民主主義を獲得していく中、ロシア一国が
強い帝政のもとで上部構造と下部構造の対立の中、西洋の列強に遅れている状況
がありました。その中で、農村を中心として国民に人民主義(ナロードニズム、
今でいう民主主義に近い概念だと思います)を説いてまわった一派がナロードニキ
です。彼らはクリミアやらアフガニスタンやら、またはバルカン半島やらで次々と
敗北し、南下政策が挫折しかけていた国際情勢を憂えて、人民主義によるロシアの
復活を目指していたのです。

 しかし、世界史上では、彼らが急進的すぎたため、国民の気持ちを捕らえることが
できず、この運動は挫折してしまったことを述べています。そして、彼らは合法的な
運動の展開で本懐を成就させることができないことを知り、テロリズムアナーキズム
による活動を展開します。具体的には、当時のロマノフ朝ロシア皇帝アレキサンドル
2世の暗殺を実行したのです。しかし、最期は帝政ロシアの前に消滅することとなりました。

 この歴史的事実を、みなさんならどう思うでしょうか?

 「こいつらバカだな〜、結局暴力かよ。」
「 気持ちはわかるけど、やり方がまずかった。あくまで合法的にいくべきだった。」
「 日本にもこういった、命がけの熱き運動家がいればいいのに。」
「 昔のことなど、考えること自体に意味がない。」
 …

 何が正しいのかはわかりません、歴史観というものも人それぞれでしょう。

 しかし、私ならば、「ナロードニキは現在にも存在しているが、彼らが出現するたびに
体制と大衆によってたやすく潰されている」と答えます。

 どういうことか。

 以前、このブログの中で、世の中には20ー80ルールというものがあると述べました。
私の持論では、国民の80%は自分や自分のまわりの人間の利益だけを追求し、
国民の20%は自分の利益のみならず、他人や世界の利益を追求したいと思っている。
その20%の中で、実際に他人や世界の利益のための行動を実行する
ことができるのがその20%、そしてその中の20%だけが結果を出すことができている。
そんな感じです。

 私はこのルールの源泉こそが、ナロードニキの潰される論理そのものなのではないか、
と考えています。簡単なことです。自分だけの利益、もしくは自分のまわりの人(家族、
親戚、友達など)の利益のみを考えている人間にとって、他者や社会の利益のために
行動しようとする人間は、おそらく自分自身の人生理念やポリシーを揺るがすものと
なり、その志を目に見えぬ形で挫折させようとする、そして自分らの所属する80%の
グループに引き込もうとするインセンティブに見事に駆られるのだと思います。

 せっかく、崇高な志を以て何かを成し遂げようとしている人間が、社会に根強く
はびこる衆愚によって潰されていく。この現実に直面した志ある人の悲哀はそれ
相当のものでしょう。私には、彼らがテロリズムアナーキズムに陥ってしまうのは、
吉田兼好の述べた、「人きわまりて罪す」のように社会の中で追い込まれてしまった
結果なのだと思います。志を潰して大衆に迎合する、人が低きに流れるのはなんとも
易きことですが、衆愚を前にしてどんな手を使ってでも志の一部でも達成させたい、
そう思えることは本当に尊いものです(もちろん不可逆的な犯罪は正当化されるもの
ではありませんが)。

 おそらく、似たような現実は、組織の中でも生じうるものだと思います。熱い
情熱をもった若者が何らかの提案や改革案を上司にプレゼンする。上司は面倒だったり
近視眼的だったり、若者の志を見抜くことのできないリーダーシップのない者だった
ならば、若者の情熱は潰されかねません。だからこそ、上司や指導者がいかに
優れているか、それも業績やステータスの問題ではなく、社会にはびこる20-80の
ルールを意識しているか、人の情熱を尊重することができるか、というところが
本当に大切なのだと思います。

 私のまわりには幸運にも、そういった素晴らしい指導者の先生方に恵まれていますので、
本当に感謝しています。だからこそ、先生方にいただいたご恩は、自分のアレンジを
加えつつそのまま私の将来の後輩や部下に返そうと思います。体育会系とはいいますが、
粗雑に後輩をあつかってふんぞり返るのが体育会系ではない、非常に狭い集団の中で
ちょっと練習しちょっと試合して活躍して調子に乗って、競技以外は何も学ぶことのないような
人間のことを、私は体育会系と認めたくはありません。先輩後輩の関係を尊重し、
託された伝統を引き継いでいける人間のことを体育会系と私は呼びたいと思います。