GTO
アニメのGTOを久々に見ました。
少年誌たるマガジンの中でも、なかなか過激な内容だったかと思います、
さすがにアニメでは過激なシーンは穏便な形にアレンジされていたのは
仕方ないと思いますが。
そんなGTOでも熱い言葉が何度も登場。
そのひとつ、最初のほうだったと思いますが、主人公鬼塚が教育実習先で
出会った、勘違いさせ系の女子学生と担当クラスの男子共の罠にはまって、その
男子学生が井の頭公園でまったく関係のない暴走族軍団にぼこられようとして
いるときのこと。鬼塚がなぜか通りかかり、男子学生が鬼塚に助けを求める
シーン。今までさんざんコケにしといて、調子のいいときにだけ助けを求めようと
するも、鬼塚は突き放す。男子学生は「教師のくせに、生徒を見殺しにするのかよ」
という言葉に対して、鬼塚。
「人間関係というのは、お互いが筋を通してこそ成立するもの。どちらかが
筋を違っていては、そこに存在する関係性などすぐに壊れてしまうものだ」(やや脚色入った)
生徒が人としての道を過っているうちは、教師と生徒のあるべき関係など生まれようもなく、
したがってそのルールに従う必要などない、ということでしょうか。
うーむ、深い。私も含め、耳が痛くなるのではないでしょうか。
社会の中にはいろいろな関係性というものが存在しています。店員と客、医師と患者、
教師と先生、親と子供、先輩と後輩、上司と部下。それらは、年の功や経験、実力、
権限といったソフトウェア的な人間性の点では確かにえもいわせぬ力の差が存在している
と思います。しかし、なになにという肩書きを抜きにして、1人の人間として
社会に存在していることも事実です。そのような人間と人間の関係性には、いわゆる
人間力、包容力、人格といったハードウェア的な人間性を以て対峙しているという
側面が必ずあるはずです。そこにおいて、二人の人間の一方に道を外れるような
ものがあるならば、ソフトウェア云々の議論などもはや成り立たなくなり、関係性は
無意味なものになる。そんなことを鬼塚は生徒に伝えようとしたのかもしれません。
何の気もなくぼーっとしてみていたGTOの中にも、大切なメッセージが含まれている
んですね。
教師を志す方々にも、是非一人の人間として熱いメッセージを教え子に
伝えてあげていただきたいと思います!