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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

都知事を切腹させてはならない

 この2ヶ月もの間、マスコミとお茶の間の注目を一身に浴びた東京都知事の問題、私も少なからず感じるものがありました。

 正直言って、政治家が政治資金の問題で何らかの瑕疵や粗相を負っていることなど、もはや関心がありません。汚職など有史古来よりしょっちゅう行われてきたものです。おそらく、東京都の議会で追及側にまわっている議員にしても、ちょっと布団をたたけば埃が出てくるのでしょうから、要は週刊誌やジャーナリストに狙い撃ちを食らうかどうかで出火点が決定するのでしょう、火種などどこにでもある。

 私が嘆かわしく思ったことはその点ではありません、さまざまな追及に対する彼の対応、そしてその言動の源となっているであろう、彼のメンタリティの幼稚さが見え隠れすることです。
 
 私が小学生の頃から都知事はテレビで大活躍していました、国際政治学者という名前を冠してクイズ番組で優秀な成績を収めたり、深夜の討論番組で歯に衣着せぬ快活な論調を駆使する、我々世代にとっては憧れともいえる存在だったのかもしれません。私が国家資格を取得する直前まで、都知事は厚労大臣でした。直前で民主党による政権交代が起こり、厚労大臣は長妻氏に変わったのですが、私の友人などは免許状の大臣の名前が彼の名前でなくなってしまったことにとても残念がるほどでした。

 ひと、きわまりて罪す。これは吉田兼好徒然草の一節です、人間は窮地に立たされたときに罪を犯す、という意味です。それに続けて、兼好は、窮地に立たされていないにも関わらず罪を犯すことこそ、本当の悪事である、と述べています。都知事は法的には違法行為を行ったわけではない、しかしながら都民を中心として一連の報道を目の当たりにした人々のなかに残るのは、この兼好の伝えたかった事が心の奥底に響き渡っているのではないでしょうか。

 彼はもう辞職しました、検察はかれの政治資金の虚偽記載を証明するだけの事実認定をとらえきることができず、彼を免職し追放することができませんでした。よって、ルールブック上は退職金を掴んで自ら辞職することになりました。我々および都民の心には幕切れの最後の最後まで、彼に我々の血税をせしめられてしまった、というふがいない思いだけが残りました。しかしながら、そんな彼からも学ぶべきことはたくさんあると思います、これらを記録しておきたいと思います。

1. 違法ではないが不適切な政治資金利用をしてきたことで、辞任を求める指摘がたくさんなされてきた。彼はこれらを「厳しい指摘」と繰り返した。
→厳しいのではなく、普通の人の感覚からすれば「当然の指摘」である。自分で「厳しい」と言ってしまうと、彼は心の中で「みんな、普通のことなのにやたら厳しく批判してきやがるな」と思っているように捉えられてしまう。
2. 「全身全霊、反省すべきは反省し、改めるべきは改める」と、オウム返しのように答弁し続けた。
→こういう、定型句のごとき、そしてもっともらしい表現は相手の心にまったく届かないので使わない方がよい。「こいつ、結局何にも反省していない」と捉えられる。
3. 「私はこれまで、都民のために一生懸命仕事をしてきた」と、不信任案提出寸前の議場で述べた。
→仕事をする人間が、「お客様のために一生懸命やります!」と自ら言うのは、事前的ならば良いのかもしれないが、事後的に言ってしまうと「こいつ、自分の仕事に満足してしまえる奴なんだな、もうこれ以上の努力をしようとしない奴なのかも」と思われる恐れがある。同じ一緒に仕事にする相手ならば、これでよいと思うよりも、「これで本当によかったのだろうか」と悩みつつ研鑽し続ける人のほうが魅力的と思うのが人情だと思うのだが。
4. 「都知事のようなトップが二流のビジネスホテルに泊まるか?みっともないことだ」と言い放った。
→まず、ビジネスホテルで一生懸命働いている方々に大変失礼な言葉であり、彼がこの言葉を謝罪し撤回しない限り、今後彼の定義する「一流」のホテルが仮にすべてブック済みだとしたら、彼はすべての「二流」のホテルから出入り禁止としたほうがよい。また、都知事のごときトップは一流ホテルに泊まるべきだという選民思想というか、職業によって貴賎を決めつける姿勢は、弱い者の立場を慮る教養がなく、かつ何らかの人間関係を築くことができたとしても、将来的に経済状況や転職、立身出世の如何によって関係が一気に反故にされる可能性があり、まったく信用できない人間となる。
5. 「第三者の厳しい目で精査してもらった調査結果から考える」
→?自分が選任した法曹2人からの、しかも都知事本人に対するヒアリングと見当たった領収証等の書類のみを根拠にした調査報告書が根拠?国際政治学者と名乗ってよい人物なのか?少なくとも学者と呼んではならない。
6. 「違法ではないが不適切な使途であったという批判が多かったので、その点については返却する」
→批判があったから対応する、というもの言いは、自らの言動に対する内省がまったく行われていない証拠にしか思われず、相手をとことん不愉快にさせる危険な言葉である。
7. 「身を切る対応をしろと言われたから、別荘は売却する」
→もはや意味不明、まったく身を切ったことになっていない。別荘の売却で得たお金はどこへ行くのか。そして、ここも6.と同じく、人に言われたから(しぶしぶ)対応する、という論調。

 挙げるときりがないが、思い返してみても非常に嘆かわしく、そして同じ日本人の子孫として本当に恥ずかしいものになってしまったものです。上記の言動が、もし子供達に伝染してしまったらと思うと、日本はとんでもない国になってしまうかもしれません。小学校の先生方におかれましては、これらの言動に似たフレーズが小学生から返ってくることがあっても、どうか子供達を責めないであげてください、責任は都知事のごとき武士道精神に根ざした義と誇りを失った大人にあるのですから。

 最後に、やや感情論になってしまいますが、彼を切腹させてはなりません。切腹とは、侍が自らの命を誇りあるままで断つための高尚な行為であります、もちろん現代では励行されるべきものではありませんが。彼に絶対にその栄誉を与えてはならない。昔でいえば斬首→市中引き回し→三条河原へ晒し首、というのが相当でしょう。そのためならば、退職金の二千万円などさっさとくれてやる、もうすべてを失った彼にとってこの世で何ができるのでしょうか。マスコミの方々におかれましては、おもしろがって彼を数年後起用しようとなど、ゆめゆめ考えないでいただきたいと切に願うばかりであります。